活路

死中に活とはどういう意味か考えてみた。
一見くもの糸を僥倖しているかにもとれ、情けない
具体的には最後の悪あがきなのだろう、つまり死中に
陥らない事が重要であって そうなっては望みが無いと
思うべきだろう。この世には神も仏も水戸黄門もいない
からだ。
では、活に焦点を絞ってみよう 生を授けられた以上
生きる権利があり放棄さえしなければ、よっぽどの悪条件
でない限り可能性があるのである。
そこで肝心なのは方法論である、せっぱつまった状況に
あるわけだから通常の手段では通用しないものだ。
私は思う、
自殺してしまう人が多いけど、死ぬ前に一花咲かせてみたい
と考えないのだろうか?
法律がなんだというのだ、あんなものは時の権力者がかって
に都合よくつくったものに過ぎない、自然界をみてみろ
相手の命を奪う事でさえ、それは生きる術だ。
人間も地球上に存在する自然界の一員なのだ、変な法律や
妙な習慣の人身御供に自ら志願する必要はない。
勘違いしないで欲しいが、私は人殺しを励行しているのでは
ない、そのくらいの覚悟をしろという事だ。
生き馬の目を抜く世の中だ、目を抜かれそうになったらせめて
一矢報いてもらいたいものだ、できそうもなければ逃げればいい
じっと息を潜めていればなんとかなるものだ。
死を選ぶのは最後の最後でいいと思う。
逆にそれ程の覚悟があるのなら、その命を預かってやってもいい。
これは、同じ経験者としての助言だ。