ナメクジ

翔太がまだ3つになったばかりの頃だった。
「ママ、僕大きくなったら沢山ナメクジ捕まえてママの
 お洋服に歩かせてあげるからね」
翔太は、つぶらな瞳を輝かせながら母親を喜ばせようと
してそう言った。
母親の律子は、そう言ってくれる息子の翔太が不憫でな
らない。
生まれつき病弱で、無菌室から出たことも殆どない翔太は
ナメクジどころか虫というものも知らない。
病院の友達からナメクジという虫は、歩くと銀色のキラキ
ラと光る足跡を残すというのを聞き知っただけである。
母親の服にナメクジを這わせてやれば、母親の服もきっと
キラキラと綺麗に光って母親が喜ぶだろうと思ったのだ。

さてさて、小説というものを書こうと思ってはみたが・・・
翔太はもう死んでしまったことにしようか?翔太の墓の
卒塔婆に這っているナメクジから連想した事にしようか?
それとも律子が生活苦に困り、私とAVの世界で出会って
彼女が喋った身の上話の一つにしようか?
私の内面が下衆なのだろうか、どうも暗い展開しか思い浮か
ばない。
私としては、こうも子供は純心で愛らしく、食べてしまいた
いくらいに可愛いものだと書きたかっただけだ。業界用語を
借りれば私は立派なロリコンであり、そう書けば勝手に誤解
してくれる人をターゲットに商売になると考えたり・・・
普通に表現すれば、自分は子供好きで、ついでに世話をやく
のも大好きである。それでもこんな業界にいるから、変質者
と思われやすいので、「保父さんになりたかった」ぐらいは
付け加えないと疑惑の視線を免れかねなかったり・・・。

人よりたぶん自分は子供好きだと言う事をどう表現すべきか?
子供好きという言葉が危険なのだろうか?
何も子供の喋り方や、体だけが好きだと言っているのではない。
その純真な無垢な心が愛おしいと言いたいのだ。
大人の表現をすれば、「優しくてちょっとヌケた女」とか
「女は馬鹿なほうが可愛い」なんてのもあるが、それでは女性
を馬鹿にしすぎているように思えて・・・
だから敢えて、登場人物を男の子の翔太にしてみたが、それで
も小児愛好家ではないか?と思われはしないか?などと下衆の
勘ぐりをしたりして・・・
兎にも角にも、こうして過敏な言い訳を考え付くのは、小説の
場合は真実ではなく連想しなくてはならないからだ。その発想
の元となる私自身を、「良い人」と思わせたいと作者は思うか
らだろう。
つまり着飾った偽りの作文よりも、その場で思った事を書く日
記の方が、私にはいい。
一般社会からはとんでもないと思われようと、自分に正直な方
が無理がなくていいと思う。
それでいて小説のような絵空事を考えては、フッとそれを書いて
みたくなるような衝動があったりもする。
小説家って凄いんだな〜って、今日改めて感心した。

76027    11月5日   AM0時5分