黄色い骨

8月6日 広島平和式典参列
実体験のない私には実感がなく猛暑のなか汗が出るばか
りであった、「黙祷」の時も照りつける陽射しの中カメラを廻し続
けていたが式典が終わり共同墓地に参拝の折、さだこ像
の近くに被爆者たちの写真や絵が陳列しているのを見て
涙が止まらなくなってしまった。共同墓地には二人の叔
父が埋葬されているらしい。らしいとは、勤労奉仕で出
かけたまま消息不明であるからだ。
4000度を越す鉄をも溶かす灼熱地獄で果てたのか、
息のある者は似島という島まで運ばれたそうだが未だに
叔父たちの行方は不明である。当時私の母は7人家族で
たまたま母だけが留守番をしていて母以外の家族は全員
被爆した後に亡くなっている。一番最後まで生きていた
母の父も9月に息を引き取ったそうだ
「あと10年生きていたかった」と言っていたそうだ。
母がまだ8歳のときだったそうである。
母は今まで一度も式典や灯篭流しに参加する事はなかっ
た、人は酷過ぎる経験は語らずに自分の中に封じ込めよ
うとするのかもしれない。
「原爆で死んだら骨が白くないんよ、黄色いんよ」
私も初めて聞く話だった、きっと家族の誰かの骨を見た
のだろう、8歳の子供には残酷すぎる話だ。
8月7日 城崎温泉
兵庫県 城崎温泉 西村屋招月庭 宿泊
「外湯巡り」と称し駅前から点在する温泉を自由に入浴
できる。宿の浴衣を着て下駄を鳴らしながら宿泊客が行
き交う情緒ある温泉街である。
私は両親に甘えている、今回も弟の誕生会を兼ね、両親
からの招待である 本来なら私が招待しなくてはいけな
い立場だからである。私は両親に感謝しつつも招待ばか
りされてる自分を恥じている。